2023.10.3(火)



父の命日
今日は、お父ちゃんの命日。
昭和42年10月4日逝去、享年37。自分が6歳と4ヶ月ぐらい、弟が2歳と7ヶ月ぐらいの時、父親とさよならをすることになった。

それから約3ヶ月後、昭和43年12月。
今度はおじいちゃんが亡くなり(享年66)、それまで「じいちゃん・ばあちゃん」「うちのお父ちゃん・お母ちゃん・自分・弟」という単位で、市内の別々の場所(徒歩20分ぐらいでいける距離ではあった)で生活していた2つの世帯で、それぞれ世帯主を失ってしまった。

で、ここに至り。
2ヶ所で暮らしていたのが集約されて「おばあちゃん・お母ちゃん・自分・弟」という4人の母子家庭生活が始まった。建物としては1階だけの、風呂無しの平屋(ひらや)の借家。風呂がないものの、せまい台所に土間スペースがあって夏場はそこにタライを置いて行水して、秋から冬にかけては徒歩15分ほどにある銭湯通い。たぶん毎日通ってたはずもなく、最低で2日に1度だったのやろうと推測する。

そうした状況で、わが家は貧乏だったものの。
周囲の友達を見たら、ごくごく一部はそれなりに裕福らしかったものの、大多数は同じような環境やったから、貧乏さをとりわけ実感したことはなかった記憶がある。

父については、思うことが少なくない。
人の寿命は誰にもわからんから仕方ないものの、父と祖父が死んで母子家庭共同体になって以降は、母が「稼ぎ頭」を担うしかなくなった。記憶によれば、朝に新聞配達を済ませて、日中もそれなりの会社勤めをしていたはず。あの頃はまだ週休2日制はなかったから、土曜も半ドンぐらいで仕事をして、唯一ちゃんと身体を休ませることができたのは日曜だけだったと思っている。

そして、お父ちゃん亡きあと。
仕事の無理がたたったのやろう。6年後にお母ちゃんは42歳の若さで、お父ちゃんの元へと旅立った。お父ちゃんの死に関して「悲しいか」と問われれば、自分も弟も「あまりに幼すぎて記憶も実感もない」のが正直なところ。こと弟については、2歳と7ヶ月ぐらいの時やったから、いまとなると(兄としては)かわいそうな気持ちでいっぱいやし、たぶんお父ちゃんの気持ちも「お母ちゃんや子供達に対して残念な思いがあった」ような気がする。

コメント

このブログの人気の投稿

すきな曲 MEMORY OF SMILE (山田康雄)

2020.12.13(日)

2023.5.4(木)