2023.2.1(水)


如月(きさらぎ)
きょうから2月。
今朝は朝はやい出勤ながら、スマホにセットしていたアラーム時刻より早く、6時すぎに目がさめた。もう二度寝することもないので、すぐさま3つの時間に設定していたアラームは解除して、身体を目覚めさせるべくベランダに出てみる。

まだ日の出前で、きれいな茜色。
日の出前の、これくらいの色合い・雰囲気が好きやなぁ。風はないものの、やや冷える感じはある。たしか予報では、日中の気温はそこそこ高いものの、最低気温はそれほど上がってなかったので、それなりに着込んでおく必要はあるやろう。


かるく食べて出勤
キッチンに行き、朝食の支度。
といっても、自分のお椀にかるくごはんをよそい、冷蔵庫にあるおかず3種(チンジャオロース風の炒め物、切り干し大根と揚げの煮物、漬け物)をその上にのせただけ。キッチンの鍋に残っているベーコン・野菜のスープも温めて、腹四分目ほどの朝ごはん。ついでに少量だけ湯をわかし、急須に残っている緑茶パックを利用してマイ水筒に補充した。その後、自家製アイスコーヒーをミニグラスで一杯だけ飲む。

ほどなく、カミさんも顔を見せた。
ササッと着替えてごみ出しをすませて帰ってきたカミさんと入れ違いで、自宅を出発。いつものようにベランダから、手をふって見送ってくれている。ありがとうさん。きょうは帰りにちゃんとコンビニで、卵パックを買ってきますだ。


つなぎは、ゆでたまご
コンビニ寄ってから出勤し、仕事開始。
2時間ほどして、ちょっと小腹がすいたので、コンビニで買っておいたゆでたまごで軽食。

コロナ禍になり、およそ3年。
3密を避ける意味合いも含めて「職場なりグループでの飲み会」が激減しただけでなく、仕事日の「昼食のあり方」も大きく変わったと思う。それまでなら、同じ休憩時間の仲間同士で連れだってどこか外食に出かけていたのが、それぞれ個人で好きなように選ぶようになり、ひとりで好きな店に外食に行く人もいれば、かつての自分のようにカミさんが作ってくれた弁当を持参するメンバー(これはやはり自分ぐらいの年配世代が多かった)が出現したり、それから今でもそこそこ多いのは「コンビニで好きなものを買っておいたり買ってきて、自席で食べる」てなスタイル。個人的には、何人かで連れだってどこかへ行くより、各自が個別に食べたいと思った店に行くのがいい…と思う。というのも、以前でも3〜4人で連れだって店に入っていくとちょうど良い空き席が無かったりした経験も少なくないし、まとまって行くとなると誰かの好みとかに左右される部分も少なくないので、時として「そのとき自分が食べたいものを我慢してしまう」結果にもなりうる。

ある意味で。
コロナ禍というのは「働き方改革」だけでなく「食べること改革」にも大きく影響を及ぼしたような気がするし、完全に元に戻ることはないようにも思ってる。


がんがん借りまくり
夕方4時半、仕事を終えてすぐに退社。
そのまま図書館に行き、予約していた本を6冊借り受けた。来週6日からの図書館休館期間に備えたもので、数日前には井上淳さんの本をかなり借りたが、今回は樋口修吉さんの著書が多くなっている。

で、実に不思議なことながら。
樋口修吉さんの小説は、まだ読んだことがない。内藤陳さんの《読まずに死ねるか》シリーズで紹介されていた2冊(ジェームス山の李蘭、気分はディキシーランド)は中古本を入手したものの未読のままで、なのに「図書館にあるやつも読んでみたい」てな欲望に突き動かされて予約してしまった。なのでまずは、これらから読むつもり。

図書館を出て、コンビニで買い物。
ゆうべは品切れで買えなかった卵パックを無事に買い、念のため「ほかに足りない物はないかな」とスマホでカミさんにメッセージを送り、すぐさま「ないよー」と返信が返ってきたので、安心して帰宅した。

夕飯のメインは、カミさんによる焼肉。
2種類の牛肉(ひとつはタン)を焼いたのがふたつの皿に盛られ、別のさらにはサニーレタスや白髪ねぎが持ってある。帰省中の子供は、サニーレタスに白髪ねぎとタレをつけた肉をのせてから包んで食べ、こちらはタレをつけた焼肉をあったかい白飯にのっけて、ワカメスープと共にゆっくり食べた。


ブーメラン・ストリート
西城秀樹さんは、やはり素敵な歌手やったな。
カミさんも《ブルースカイって、すごく良い曲よね》と言ってくれているし、本当に数多くのヒット曲があるけど、その中で《ブーメラン・ストリート》(作詞:阿久悠、作曲:三木たかし)も今となれば、とても忘れがたい1曲。

そして、今の世の中も。
あいかわらず、あちこちのストリートでブーメランが飛び交っている感じ。国会がその最たるもので、YouTubeの『デイリーWiLL』のこういうコンテンツを見たらば、どうやらこの国会も変わりないように見える一方で、希望としては「野党間での違い」が一般的に目に見えるようになって行けば良いような、そんな気がする。

満足を、どこに求めるか
最近、よく目にするネット記事として。
ユーチューバーの方々が「かつてほど稼げなくなった」「収入が半減した」てな内容のものを目にする機会が少なくない。稼ぎ(収入)の中で、YouTubeの度合いが大きかった人ほどそう感じるのかもしれんし、でもそれって個人差があるのとちゃうかな…とも思う。

自分は、YouTubeはやってないが。
もしもやるとしたら、いまの株式保有の配当金みたいな捉え方で「また別の年金」みたいな収入が得られればそれで結構…と、そうした捉え方になると思う。また「好きこそものの上手なれ」とか言うように、好きでないと継続できんように思うから、テーマはそういうものが良いのやろうな。


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