2018.4.13(金)
▷きょうも爽やか
工事の立会い、2日目。
昨日よりさらに早い8時スタートにつき、15分前に職場について準備。定刻に開始。
本日も爽やかな天候で、気持ちいい。
立会いの合間、8時半からは会議室に臨時で設けられた健康診断コーナーで受診。今回は
身長、体重、視力、聴力、血圧、そして問診。身長170.2cm、体重57kg、視力は老眼
とか進んだせいか以前のメガネでは合わなくなり、運転免許更新に備えてやはり新しい
のを作らないといけないな。聴力・血圧も問題なく、無事に終了。
▷朝ごはんがメインかも
健康診断も無事に終わり、ちと空腹感。社食に行って、和朝食を注文。小皿に盛られた
中で今日の魚系は「ししゃも」一匹だった。そこそこガッツリ食べたので、昼はなしで
いいかもしれない。本当にお腹がすいた時にほどほどに食べる。それでよし。
▷同い年
今回の工事は、ちょっと前にあった長期工事の第二弾で、担当会社から来られてる現場
監督さんも前回と同じ人。その前回の工事の終盤に「打ち上げ」(慰労会)をした際、その
現場監督さんと自分が同い年…というのがわかった。「定年」が共通の話題かなあ。
▷夕映えとひこうき雲
工事の立会いは夕方の5時半に終わり、関係各位にメールして終了。次いで、サブの仕事
をサクサクっと済ませて、6時すぎに退社。途中、コンビニで「しめさば」などを買う。
まだ夕陽はビルの向こうにくっきり見え、西の空になんだか面白い模様が浮かんでた。
空に浮かぶ雲の模様とかは、時として「地震や災害の予兆」と言われることもあるけど
自分が感じたのは…まったく逆。自分の行動次第でおそらく、今年は転機の年なり好転
の年にできそうな感じがする。すべてはこれからの行動だろう、怠けてはいけない。
▷瀬戸大橋 開通30年
振り返ると、不思議に思う。
瀬戸大橋の香川県側の都市・坂出市で、小学校の最終学年から社会人になって少しまで
暮らした。最初に生まれ育った高松市に次いで、第二の故郷といえる。
やがて1988年、瀬戸大橋が開通。
この年の夏、初めての転勤で香川を離れて、自分とカミさんと上の子供の三人は松山で
暮らしはじめた。翌年、下の子供が誕生して、いまに至る家族構成が確立する。
でも、瀬戸大橋を渡る(使う)機会は、ほとんどない。
かつて両親なき後、当時は坂出市に住んでいた叔母夫妻(叔母は母の姉)が、祖母と自分と
弟を引きとり、面倒を見てくださった。そして自分が社会人になってしばらくしての事。
叔母夫妻と祖母は、叔母夫妻の息子さん(自分にとっての従兄弟)が生活する岡山県の倉敷
に移住・同居することになり、倉敷へマイカーで訪問する時ぐらいしか瀬戸大橋を利用
したことはない。そして、もっとも近い時期に瀬戸大橋を渡った記憶としては、従兄弟
の奥さんが亡くなられたことに際しての訪問で、なかなかに心が重かった。
工事の立会い、2日目。
昨日よりさらに早い8時スタートにつき、15分前に職場について準備。定刻に開始。
本日も爽やかな天候で、気持ちいい。
立会いの合間、8時半からは会議室に臨時で設けられた健康診断コーナーで受診。今回は
身長、体重、視力、聴力、血圧、そして問診。身長170.2cm、体重57kg、視力は老眼
とか進んだせいか以前のメガネでは合わなくなり、運転免許更新に備えてやはり新しい
のを作らないといけないな。聴力・血圧も問題なく、無事に終了。
▷朝ごはんがメインかも
健康診断も無事に終わり、ちと空腹感。社食に行って、和朝食を注文。小皿に盛られた
中で今日の魚系は「ししゃも」一匹だった。そこそこガッツリ食べたので、昼はなしで
いいかもしれない。本当にお腹がすいた時にほどほどに食べる。それでよし。
▷同い年
今回の工事は、ちょっと前にあった長期工事の第二弾で、担当会社から来られてる現場
監督さんも前回と同じ人。その前回の工事の終盤に「打ち上げ」(慰労会)をした際、その
現場監督さんと自分が同い年…というのがわかった。「定年」が共通の話題かなあ。
▷夕映えとひこうき雲
工事の立会いは夕方の5時半に終わり、関係各位にメールして終了。次いで、サブの仕事
をサクサクっと済ませて、6時すぎに退社。途中、コンビニで「しめさば」などを買う。
まだ夕陽はビルの向こうにくっきり見え、西の空になんだか面白い模様が浮かんでた。
空に浮かぶ雲の模様とかは、時として「地震や災害の予兆」と言われることもあるけど
自分が感じたのは…まったく逆。自分の行動次第でおそらく、今年は転機の年なり好転
の年にできそうな感じがする。すべてはこれからの行動だろう、怠けてはいけない。
▷瀬戸大橋 開通30年
振り返ると、不思議に思う。
瀬戸大橋の香川県側の都市・坂出市で、小学校の最終学年から社会人になって少しまで
暮らした。最初に生まれ育った高松市に次いで、第二の故郷といえる。
やがて1988年、瀬戸大橋が開通。
この年の夏、初めての転勤で香川を離れて、自分とカミさんと上の子供の三人は松山で
暮らしはじめた。翌年、下の子供が誕生して、いまに至る家族構成が確立する。
でも、瀬戸大橋を渡る(使う)機会は、ほとんどない。
かつて両親なき後、当時は坂出市に住んでいた叔母夫妻(叔母は母の姉)が、祖母と自分と
弟を引きとり、面倒を見てくださった。そして自分が社会人になってしばらくしての事。
叔母夫妻と祖母は、叔母夫妻の息子さん(自分にとっての従兄弟)が生活する岡山県の倉敷
に移住・同居することになり、倉敷へマイカーで訪問する時ぐらいしか瀬戸大橋を利用
したことはない。そして、もっとも近い時期に瀬戸大橋を渡った記憶としては、従兄弟
の奥さんが亡くなられたことに際しての訪問で、なかなかに心が重かった。
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