2020.2.3(月)


部屋の中の飾り
休日、ぐっすり寝て休息をとる。
家の中のリビングやトイレ・玄関先には花や飾り物が置いてあり、カミさんがアレンジして入れ替えている。1月が過ぎ去ったので新年・新春をイメージした飾りから、節分のものに変わっている。駅前のアミコ店内はもっと季節感がすすんでいて、2階の展示スペースにもう雛飾りがあったので、ちょっと驚いた。


人と人とが
巡回ブログの「パンドラの憂鬱」を見た。
日本からのチャーター機に救援物資を積んで行ったのは、よかったと思う。こうした反応を読んでいると、政府公報やマスコミニュースでなくネット・SNSの存在がとても大きいことを感じると共に、国は違えども名もなき一般の人たちの結びつきこそが何かを変えていくような、そんな気がした。根拠なき誹謗中傷やバッシングはせず、感情的にならぬように努力して、自分の思うところを述べ合って時には議論白熱てケンカしてもいい。でも、災害やら何かあった時は“困ったときはお互い様よ…“と手を差し伸べる。わたしの国・日本も、そういう国であり続けたい。


日本人なのだな
自分の日々の行動を、ちょっと振り返った。
しばしば“ベランダに出て日光浴…“とか書いているが、実際のところは“太陽を拝む“というのが正しいかも知れぬ。夜にベランダに出て月光をながめるのは、暗い夜の闇を照らしてくれることと、今日一日をまた無事に生き抜いた自分を冷静に見つめるひとときを与えてくれることへの感謝か。夜空を見上げて月や星々と対話するのは、心やすらぐ。


日本人は勤勉で奉仕的、そうかも知れない。無邪気で遊び心も豊富、そうかも知れない。そんな日本人が外国に応対・交渉・折衝する際、近年しばしば「日本人も英語を学び、きちんと議論できるように」てな風潮があるけれど、そうは思わない。そんなことは、海外諸国の市井の人達を眺めてみればわかる。自分の住んでいる場所の言語だけでしゃべり、それで自分の思いや考えを話す。バイリンガル、トリリンガルなんぞ無関係。大事なのは、自分の住む場所・地域・国についての歴史学習なり、それをふまえた上での現状把握と認識、そしてそれをトータルしても最終的にはこうなるという「愛国心・誇り」やろうか。いまの日本はそれが欠けている…とか言うけれど、はたしてそうかな。


日本人というDNAほど、とてつもないものはない気がする。とてつもないDNAとは、自ら外国語を(簡単な言葉以外は)しゃべろうとしないのにも関わらず、身振り手振り…ジェスチャーで通じさせる能力がある。翻訳機など不要。ただ、いま書いたことは一般庶民での話やから、それ以外のところではまた異なる。日本のニュースで、こと「過去の歴史問題やら事柄に関するもの」を日本のメディアがそのテーマをどう扱い・どう翻訳し、なおかつ海外の「どんなメディアがそれを取り上げてどう伝えたか」。これは要注意やろう。ただし、ネットとSNSの時代…それもかなり色あせてきた。



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