2021.7.15(木)
別荘に行く機会がふえて
昼からの仕事日。
9時半ごろに目がさめて起き出す。アイスコーヒーを少し飲んでからラフな格好に着替え、歩いて5分の別荘…川沿いの公共の休憩所に出かけた。1ヶ所だけ灰皿スタンドがあるのでいつものようにそこに腰掛け、持参した山手さんの文庫本を読みながら、合間に一服する。鳩や雀のほか、2種類ぐらい小さな鳥がやってくる。晴れ渡った頭上の空を見上げると、こないだまでは細長いタイプの雲が多かったのに、昨日あたりからモクモクムクムクとした形があちらこちらに見えて、夏の雲らしくなってきた。30分ほどのんびり過ごして帰宅。
ベランダランチ
昼の12時半から仕事。
少しして休憩時間になり、ベランダに出てひとりランチ。きょうのごはんは、焼きめし。ミニハンバーグ、コロッケ、野菜や海老の炒め物、マカロニサラダ、ちくわ磯辺揚げ、トマトなど、いつもながらおかずも多種多彩。食後の締めに冷えた麦茶を飲み、外は蒸し暑い感じなので食後の散歩は見合わせて、空調のきいた職場で残り時間を過ごした。
たぶん、二極化かも
職場で雑談していると、いろいろおもしろい。
ある先輩は、雑談の中にしばしば隣国さんとか国際陰謀論みたいなジャンルの話が出てくるので、たぶん家ではネット(ブログやYouTubeなど)三昧のような印象。YouTubeには《毎日テレビ見るの老人ばかり》てなコンテンツもあり、それは確かにあるやろうなと思いながらも、テレビは見ずにネット主体という方々も少なくない気がする。自分もネットからの情報を鵜呑みにすることは注意しているけど、なんせ既存のマスコミが「伝えない・書かない自由」と「ミスリードさせる書き方」を行使しつつ、間違えてもきちんと認めず・悪びれもせずに済ます図々しさを体現しているものやから、それに比べれば幅広い書き込みのあるネット情報の方が頼りになる。そんな風に、老人世代というたかて大きく分ければテレビ派とネット派みたいに、二極化してるように思うなぁ。
この時分は、カラスの行水
暑くなってくると、風呂はさくっと入って終わり。
熱すぎない温度の湯につかり、頭(髪)をふくめて身体全体を撫でるようにして汚れを落とし、2日に1回ぐらいは髪にシャンプー。この時期の夜の入浴は長湯は禁物で、汗と汚れをさっと流せばいいと割り切っている。
和をもって貴しとなす
日本人について、しばしば語られる事柄。
それは、日本人はひとりだと弱いけれど集団になると力を発揮する…みたいな話。で、ひとりだと弱いのかと言えば、決してそうは思わん。世界のいろんな国々に立ったひとりで行き、現地に溶け込んでさまざまな分野で頑張っている方々の存在はたまにテレビで取り上げられたり、YouTubeのいろんなチャンネルでも観ることができる。
それはともかくも。集団になると力を発揮する日本人の全体パワーを低下させるのにはどうすればいいか。嫉妬・不信・疑心暗鬼…となるような分裂の種をあちこちにバラまいて、内戦までは行かずとも動揺なり内紛を発生させて、全体の和を少しずつ破壊していくこと…これなのやろうな。
話題がそれるようやけど、カミさんとあるとき話をしていると「昔の邦画を観てたら、言葉遣いがすごく丁寧で素敵やなぁ」という共通認識に落ち着いた。たぶん邦画だけやなく、古い洋画を観ても言葉遣いにそんなニュアンスを感じたりするし、全体的にそこはかと漂う「おおらかさ」「豊かさ」のようなものに心地よさを感じてしまう。
沈黙層
ネット上には、いろんな意見・書き込みがあるのやろう。
それは国内にとどまらず海外でも同様かと思うけれど、いろんな書き込み・発信をする人がいる一方で、ただただ読むのが主体で自らは書き込み・発信をしない人っていうのもいるやろうし、実のところはそういう人が氷山の下(海面下)にかなりの割合で存在しているような、そんな気もしている。ここでは沈黙層と書いたが、何も考えず物も言わぬ人々…ではない。無駄な弁はせずに、自ら判断して生き方で示していく…という、そんな方々やろうか。それはつまリ、江戸時代の市井の人々の生き方にも通じる気がする。
時代小説の山手樹一郎さんの作品に出てくる江戸時代の主人公たちがその通りで、いくつかの本で「エコ」的なテーマで江戸時代が語られることは多いが、それ以外でも江戸時代なりそれを形づくった徳川幕府時代について何かしらを学び、現代に活かせる事柄は応用した方がいいようにも思う。また、歴史というのはある意味、強者・勝者・支配者が作った物語のようにも思うから、江戸時代の晩年…幕末維新の頃については「明治維新」という言葉のきれいな響きはちょっと脇に置いておき、幕府側についた諸藩とその人々についてもきちんと認識・評価することが、どこかの時点で一度は必要な気がしている。
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