2022.6.14(火)
朝から、肉うどん
宿直明けの朝。
8時から休憩時間になり、外出してうどんの「やま」へ直行。きょうは朝いちばんにあったかいうどんが食べたかった。そこそこがっつり食べられそうなので、肉うどん小を注文。レジでお金を払おうとして、店員さんに500円ですと言われたのでちょっとびっくり。いや、たしか肉うどんはワンコインちょいの値段だったはず…と思いながら、壁に貼ってある各種うどんの写真入りメニューをよく見ると、たしかに肉うどん小はワンコイン。
席につき、さっそく食べ出す。
そんなに無茶苦茶はらがへってたわけでもないのに、きょうは見る見るうちに麺が減ってゆく。そうして食べながらふと、やはりさっきの「ワンコイン」問題を考えはじめた。かなり以前は肉うどん小は480円ぐらいやってけど、消費税アップ二人のタイミングで520円だか540円になったのはたしかで、自分もワンコイン+10円玉数枚を出してた記憶がある。で、原材料高騰とかもあって値上がりが多くなっている今、500円ちょいだったものが500円に値下がりすることなんて、あるまいて。
で、別件関係も浮かんできた。
つい最近になって店内をながめて気づいたのは、以前は麺の量の呼び名の中に「並」っていうのはなかったはず…という事と、その「小・並・大・特大」てな表記の横に「麺●玉」とそれぞれ書いてある事。これらを総合して組み立てて推理すると、こうなる。以前の肉うどん小というのは実は麺1玉じゃなく1.5玉の分量で、それで500円ちょいだった。で、うどんメニュー全体を再構成して「麺の量の表記に新しく《並》(1.5玉)を加え、従来の《小》は1.5玉から1玉に変更して、そのぶん価格をちょい下げる」と。うむ、この推理はどうやろう。
それに似た、変形の話もあったなあ。
だいぶまえにカミさんから聞いた話やけど、北島フジグランのフードコートのうどん店「めんた」がある時から、(たしか)うどんの「小」というのがなくなって一番小さいのが「並」になって、それがどうやら1.5玉の分量…みたいな内容やったろうか。その聞いた話が記憶のどこかにあったので、今回の推理につながったのは確かやけど、実際のところはどうなんやろうなぁ。ただし、いまのご時世(値上がりが多くなってる世相)をふまえたら、やはり値下げになったようには思えず、そこには店舗というか企業の思案・苦労が背景にあると思う。
3年ぶりの再会
休憩時間を終えて、職場にもどった。
すると、新顔さんが何人かいらっしゃる。ああそうか、定期異動の内示がつい先日出たばかりやが、発令日までの期間の事前作業として、新たに転入される方々が業務引継で来られたわけやな。その中のひとりは、旧知の後輩メンバー。徳島出身でなおかつ初任地で、それからあちこち転勤した結果、四国へは3年ぶりぐらい・徳島へは初任以来の数十年ぶりの帰還…となるようだ。手短に挨拶を交わし、彼が「(関連会社へ転籍された)先輩方はお元気ですか」と尋ねたので、みんな元気やし再会を楽しみにしてると思うよ、と答えておいた。
そういう会社は、少なくないと思うのやが。
そういう会社の意味は、ある会社組織とは別に「子会社」「関連会社」てな系列・存在があり、その「子会社」「関連会社」が親会社とは別々の場所で仕事をしているのなら互いの直接的なつながりはないけども、業務・職種とかによっては《同じ場所で一緒に業務する》というケースもあるやろう。つまり、ひとつの職場の中で複数の会社所属メンバーが働く環境というわけやが、親会社側は若返りとスリム化が進む一方で、子会社・関連会社側は(受け皿としての一面もあり)高齢化が進む気がしている。
でも、それがすべて悪いとは思わない。
いま簡単に「高齢者」と書いたものの、自分もその中のひとりやし、自分の年上・年下のメンバーをざっとみても若々しい面々が多いから、結局のところは《人それぞれ、人生それぞれの判断に委ねる部分》が多くて、仕事はやめて完全にリタイアする/フルタイムの仕事は無理やが月に数回ならいい/まだまだフルタイムでやる…などなど、違いがあるのは当然。その場合の重要なポイントとして自分が思うのは、会社が自分を必要としている度合いの見極めであるし、自分の価値(給与あるいは時給単価とか)でもあるやろし、それを逆に自分側に向けてみたら「そんだけの事を担当・遂行できる能力なり努力をこれから続けられるとか」という、自分自身への自問自答のような部分もあってしかるべきなような気がしている。
どうしようもないこと
うちの両親は、あいついで早くなくなった。
おとうちゃんが37歳、おかあちゃんが42歳。いまの世の中で考えたら、その倍の74歳なり82歳まで生きてくれてても、ちっともおかしくない。
両親なき後の代わりは、おばあちゃんやった。
そのおばあちゃんには幸いにも、カミさんだけでなくふたりの子供たちの姿も見せることができたから、ある意味で「親孝行がわり」ができたような気もするものの、それでもカミさんと子供たちには父系のおじいちゃん・おばあちゃん(つまりは自分の両親)に会わせたかったなあと思うし、とても残念でならない。でもそれって、どうしようもないんよなぁ。




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