2022.6.12(日)
すっきり晴れて
昨日とは異なり、すっきり晴れた朝。
ただ週間予報を見ると、来週は傘マークが出ている日が多い。そろそろ四国も梅雨入りを迎えるのかもしれんな。
きょうは日曜。
職場はめっきりと人が少なく、気をつかうことがない。なのでグレーのプリントTシャツに水色のソフトタイプのパンツを履き、上着はごく薄のユニクロのパーカーにした。カミさんが用意してくれたおにぎりと水筒をリュックに入れていると、「これ、どうかなー」とカミさんが帽子を手にして見せてくれた。自分用に買ってくれたらしく、この色合い・デザインは持ってなかった事もあって、すごく嬉しい。ありがとうさん。ほやどな、いま着てるパーカーかて先日買っててくれたものやし、こっちのより自分(カミさん)のを買ってくれればいい。
自己研鑽 のち ベランダランチ
8時ぐらいに着き、ベランダで一服。
暑くも寒くもなく、ちょうどいい感じ。こういうのがそこそこ続いてくれると、ええがなぁ。
8時半から仕事を開始する。
はじめに引き継ぎを受けて、宿直明けメンバーは休憩時間で外出。つい1週間前、主要設備が新しいものに移行したばかりで、まだまだ習熟が必要。人の少ない土日あたりだと遠慮気兼ねなく設備にふれられるし、確認したい点とか試して見たい点をじっくり時間をかけてチェックする事ができる。iPadのアプリ「BOOKS」に資料を取り込んで休みの日にもちょっとずつ読み込んで勉強したり、同アプリ「メモ」にも自分なりに要点をまとめて書いたりしてきたから、まわりから見ると「いつのまに?」てなぐらい習熟が早く見えるのやろう。50歳代にさしかかった頃の2年間、ある資格取得のため「毎日30分だけ勉強」というのを続けたことがあったから、久しぶりにその感じを再現しただけやけど、もっと歳を取ってもそういうのは大事やなと、そう思う。たぶん「毎日30分だけYouTube」とかの課題なら誰でも喜ぶやろうし、たぶんもっと長い時間になるはず。ただそれが(人によって違うが)「毎日30分だけ勉強」「毎日30分だけ読書」とかになると、無理やと感じてしまう場合もあると思う。ほやけどそういうのをあえてやる事が、長い眼でみたら財産になるような気がするな。
11時半から昼休みになった。
持参したおにぎり2個をゆっくり食べ、カミさんが持たせてくれたカップ麺「ごぼう天うどん」に湯を入れて、合わせて食事。ふと、ゆうべ観た東映時代劇・右門捕物帖のことを思い浮かべた。昔のチャンバラ時代劇やから、あとで付けた「チャリーン・ギュッ・ズバッ」てな効果音はなく、チャンバラのシーンで刀が触れあうと(竹光のような)パチパチっ…てな音で、これはこれなりに良い感じ。むっつり右門は奉行所の同心やから、現代でいうと警察の刑事さんか。むっつり…って、英語やと何になるのやろうな。「無口」というより「寡黙」という意味合いに近いのかもしれんけど、せっかくYouTubeという場で配信するなら英語字幕をつけといて、海外のチャンバラ好きにも楽しんでもらえればいいと思う。世界のあちこちには、祖父母なりもっと前に日本人がルーツにいたっていう海外の人(外国人)もそこそこいるように思うから、YouTubeあたりでせっかく日本文化を発信するのなら、字幕が付いてた方がいいように思うのやな。
ひるだけ蕎麦屋
つい先日のこと。
徳島駅前のラーメン・麺王の近くに小料理屋のような店があり、入ったことはないけどグーグルマップで確認すると「ととめしや楼Japan」という店らしいものの、店先を通りかかるとそこに《ひるだけ そば屋》とか「そばメニュー」が書いた案内板が置いてあったので、ちょっと不思議に思ってた。あとで「食べログ」とかで確認すると、店舗としてはグーグルマップの表示で正しいらしいけど、昼は「そば」メニュー主体の営業をしている感じ。食べたいそばがあるやろかと写真を眺めてみたが、物足りなかったのでパスやなぁ。
モカブレンド、ペーパーフィルター用200g
夕方5時半、定時に終わって退社。
けさ出がけに「コーヒー豆とクレマトップ(コーヒー用ミルク)買っておいてね」と頼まれていたので、アミコビルに行ってまずは6階の図書館で予約本を借り受け、1階に降りてコーヒー豆モカブレンド2パックなどを購入。コンビニで牛乳と食パンも買い足して帰宅。
日本人と宗教
帰宅して、夕飯をはさんで読書時間。
森喜朗さんに関する2冊は今度の土曜日が図書館返却日なので、それを優先して読んでゆく。
かつて森さんが叩かれまくった「神の国」発言。
ふと、日本人と宗教について思案してみる。近年しばしば「イスラム原理主義」というのは耳にするけど、キリスト教でも「キリスト教原理主義」とかってあるのやろか。原理主義とかは別にしても、キリスト教でもいろんな流れ・派があるように思うし、仏教かてもともとはお釈迦さんから出たはずのものが(日本では)いろいろ宗派がある。その点、神道っていうのは本当に不思議な感じがして、創始者・開祖・預言者・伝道師・経典・経文・戒律…みたいな存在がまったくないから、いま「神道」と呼んでいる存在がずっとずっとはるか昔の古代の頃には、名前もない「共通の宗教的なもの」やったような、そんな気もしている。そして西洋古代の神話とか、日本でなら日本書紀の古代編あたりも、ある部分は「特定の地方なり国とかの物語」でなくて、なんちゅうか「地球の成り立ち」みたいなのをそれぞれの場所・言語で語り継いできたような、そんな思いも抱いてしまう。





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