2020.9.15(木)
車検の日
5連休の中日。
愛車の車検を受けるため、午後にカミさんと二人で中吉野町のトヨタカローラに行く。自宅を出る前に電話をしておき、きのう発生した「クラッチ滑り」の不具合も伝えておいた。
最初に、担当者さんと手短に情報交換。
クラッチ滑りを手短に説明すると、運転席に座ってエンジンをかけ、クラッチのつながり具合を確かめてくれた。車検自体は(何事もなければ)1時間ほどで終わるらしいが、クラッチ滑りの修理は部品調達に2〜3日かかるようで、また別日に愛車を持ち込むことになる。
いつものように、店内のテーブル席で待機。
出入口ちかくに新しいシエンタが置いてあって、そのデザインがルノーのカングーにちょっと似ていて個人的には気に入った。残念ながら(これに限らず最近の大多数は)ミッション車はないので、わが家の次の車にはなりそうにない。
待ち時間に、セルフでアイスコーヒーを飲む。
40分ほどすると別の整備担当者さんがやってきて、車検整備の内訳一覧を手にしつつ「実は不具合箇所が2つ見つかりまして、1つはすぐ交換対応できるんですが、もう1つは部品調達が必要で別日になるんです…」という内容。日程を検討・調整してもらった結果、今月の後半に1日半ほどここに愛車を預け、そこで「残りの不具合+クラッチ滑り」の修理対応をしてもらうことになった。「2つの不具合+クラッチ滑り」の修理で予想していた額より出費は増えるものの、かれこれ20年ちょい乗り続けているのやからこれも仕方ないやろう。作業員さんが教えてくれた履歴によると、前にクラッチ滑りを修理したのが平成23年らしく、それからすでに11年も経っている。車検を受けてまだ2年間は乗り続けることを考えたら、必要経費としてはそう高くもないように思う。
フジにリサイクルBOXがあった
トヨタを出て、スーパー・フジに立ち寄る。
カミさんいわく、上の子供が長期帰省中で食費がめちゃかかるーとの事。さもありなん。作る側(カミさん)は毎日あれこれ食べさせようと品数多くこしらえてるし、食べる側(子供)も毎回うまいうまいを連発するから、その相乗効果たるや凄い。ま、ずっと続く出費でもなし、ごく一時期の「思い出づくり」の必要経費とも言えるから、それもよかろうよ。
やがて、買い物をすませて。
カウンターで買い物カゴからエコバッグに移し替えていると、テーブルの端に「充電式電池の廃棄BOX」があるのに気づいた。これこれ、前からこいつを探してたんや。前にネットで検索すると、市役所とかいくつかの場所にこのBOXがあるらしいのは知っていたものの、近場でちゃんと目につく場所に置いてないかなーと探していた。これまで気がつかなかったのは迂闊ながら、このフジなら買い物でよく来るし、ここに持参すれば不用な充電式電池が処分できるから、これはとても助かる。捨てられずにいた古い充電式乾電池や以前のガラケーのバッテリーなど、まとめてここに持って来ることにしよう。
やっばりズレてるな
ここ最近の話題は、国葬と旧統一教会。
国葬騒ぎについては。
空の上から安倍さんも(自分のことであれこれと物議をかもす事になってしまい)苦笑いされてるような気もする。ネットのニュースあたりを見ると「国民の半数が反対」みたいなニュアンス記事もあるが、正式に全国民にアンケートしたはずもなし、いつものアレやなーと感じてる人も少なくない気がする。半分が反対でも半分として賛成があるのなら、絶対に中止…とはならんやろう。残念というかようわからんのは、わざわざ「参列しません」と公言したりSNSあたりで発信してる方々で、出席・欠席は個人の自由やからおまかせするとして、それをわざわざ公言・発信するのに何の意味があるんやろうかと、そう思ってしまう。
旧統一教会については。
なにが問題・本質なのか、そこだけの話。いたずらに「政治と宗教」の話として膨らませすぎると、いずれ多方面にブーメランが返って来るような気がする。
余談ながら。
かなり以前のことながら《安倍の葬式は俺(あるいはウチ)が出す》とか社内的に公言していた大新聞社があったような記憶がある。ウチが出す…と理解すると「会社として」の話になるのやろうから、その新聞社は国葬儀とはまた別に、安倍さんの社葬もせんといかんよ。この新聞社を含めていくつかの新聞社(M日とかT京とか)が、令和の御代のうちにどれくらい部数を減少させていくのかが興味のひとつでもあるけれど、安倍さんや菅さんが政権から去ってしまうと一時はやたら(記者会見とかの質問で)目立ってた某新聞社の女性記者さんの姿も見かけなくなったし、在京民放の報道番組のキャスターさんもレギュラーは降板するらしいし、いろんな変化が起きている。
これは自分勝手に思うやけど。
安倍さんの意志を継ぐ…という人たち。決して少なくない気がする。ただ、大多数の人たちはネット上であれこれ発言するわけでもなく、ただだた静かに思いを秘めて日々の暮らしと向き合っているから、それはたぶん既存メディアもネットも、把握できんやろう。表層には出てこない、熱いマグマを持ったもの言わぬ人々が無数にいる。そんな気がする。




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