2022.5.1(日)
五月(さつき)
世間様は黄金期間、こちらは日勤の仕事日。
起きてリビングに行くと「今朝はちょっと寒いぐらいよ」と、カミさん。ベランダに出て確認すると、曇り空でたしかに肌寒い。きのうと同様、下に長袖のクルーネックシャツ、その上にも長袖シャツと黒のナイロンベスト。あとは、厚手のデニムジャケットを着ていくことにした。サンドイッチを作ってくれたので、水筒と一緒にトートバッグに入れて出発。駅前にさしかかると日曜あるいは連休ということで、朝8時すぎでも人出がいつもより多い。クレメントプラザ1階のヴィドフランス店内も、窓際のカウンター席でのんびりと朝食をとっているグループ連れが多かった。
出勤前に、コンビニに立ち寄り、最近お決まりのようになったポークフランク1本と、いなり寿司2個入り、ペットボトルのカフェラテを買って出社。職場について宿直明けのメンバーを休憩に送り出した後、まずはあったかいうちにポークフランクにかぶりつき、それからハムエッグトーストサンドを2分の1枚。きょうのパンはイギリスパン風の山形なので、普通の食パンの2分の1よりもちょいと大きい。これだけでも十分なボリュームがある。
インスタント味噌汁の補充
おととい、カミさんからプレゼントがあった。
フリーズドライの味噌汁パックを買ってきたらしく、その中の5種類を小袋に入れて持たせてくれた。いつもキャン★ドゥで買っているインスタント味噌汁は安いだけあって、具がそう多くないものが多いけれど、このフリーズドライのは前にも食べたことがあって、やはり別物。さっそく自席の引き出しに入れて保管しておく。
やがて午後1時から、休憩時間。
昼になると外気温も上がっていい感じに思えたので、カップになめこ赤だしを作り、いなり寿司と一緒に手にしてベランダでランチタイム。予想通り、通り抜ける風が気持ちいい。どこからか阿波おどりの鳴り物が聞こえていて、そういや今日は中央公園の鷲の門あたりで阿波おどりイベント(数日前に予定されていたのが順延した)があったはずやな…と思い出した。15分ほどで食事を終えるなり、外出して中央公園へ向かった。中央公園に通じる高架橋のあたりから、すでに公園に向かう人が多い。みんな楽しみにしてたのやなぁ。
中央公園で阿波おどり見物
短い高架橋を渡ると、もう中央公園。
降りて右側に見える鷲の門広場のあたりと、左側の花見でにぎわう広場の2ヶ所で踊りをやっているようだ。鷲の門広場のほうには5台ぐらいキッチンカーというか移動式屋台が並んでいて、並んでいる人も多かった。鷲の門広場ではちょっと写真を撮るだけにして、すぐに左側の広場の方に向かうことにする。
1ヶ月ぐらい前は、花見でにぎわっていた広場。
広場の中央にはそこそこの幅の歩道があるけれど、そこが踊り連の通り抜けになっていた。なるほど、こういうスタイルって良いなぁ。そういえば、阿波おどりの本番時期(毎年、8月12日から15日の4日間)に中央公園に来たことはないのやけど、こんな風にやっていたのやろうかな。演舞場で見るより「連」と「観客」の距離が近いし、こういう街中での阿波おどりのほうが好きやな。「えびす連」と「阿波扇」のふたつを見ることができて満足。
おかあちゃんの命日
阿波おどりを堪能して、休憩を終えて職場に復帰。
日曜はほとんど忙しくないので、自由な時間がたっぷりある。
きょうは、おかあちゃんの命日や。
亡くなって49年、まだ存命だったなら91歳のはず。
うっすら覚えてるのは、ある時点では縫製工場かクリーニング作業場のような所でおかあちゃんは働いていたような映像的な記憶があり、同時に(クリーニング作業場でよく漂っているような)スチームっぽい匂いの記憶もあったりする。ただ、おとうちゃんが36歳で亡くなり、翌年には別の場所で暮らしてた祖父(母の実父)も亡くなったので、別々に暮らしていた所帯が再構成(集合)となって、祖母・母・自分・弟という暮らしが始まった。
おとうちゃんとおじいちゃんが相次いで亡くなったことが、おかあちゃんに大きな負担を与えることになったはず。なのでたぶん、それまでの縫製工場かクリーニング作業場の仕事だけでは十分な収入とならず、朝は新聞配達をすると共に、日中は(祖母から聞いた話ではたしか)鉄工所に勤めだしたように思う。そして、そうした無理が6年間つづいた結果、おかあちゃんも42歳という若さで逝ってしまった。
その6年間というのは、自分が6歳から12歳の期間やったから「母親」の記憶というのも普通はそこそこ残ってるはずやのに、そうでもなくてごくわずか。でも考えてみると、おかあちゃんは父親の代わりに朝から夕方まで外で働き、家事を担当する母親役がおばあちゃんやったと思うから、それも当然なのやろう。疲れて寝入ってるおかあちゃんの姿は、最近やとカミさんがソファで寝入ってる姿にダブってしまい、カミさんがすやすやと寝入っているだけならこっちも安心できるものの、疲れてるみたいに見える時には(家事とか含めて苦労をかけてるのやな…と)思わず切なくなってしまう。
そんなことを書き綴りながら。ふと初めて気づいたことに愕然とした。亡くなった祖父母や両親の命日は(お墓に刻まれているので)知っていても、誕生日は確かめたことがない。なるほどなぁと、あらためて思った。人間、生きてるうちは誕生日を記憶しているが、亡くなってしまうと、今度は命日が記憶されるようになるのやなぁ。
おかあちゃんの事を思い浮かべると、正直、悔しさはかなりある。おとうちゃん亡きあとの6年間を必死に支えてくれたのに何の親孝行もできんかったことは悔しいし、今となってはたまらなく悲しいけれど、それは仕方のないこと。きっとどこかで自分やカミさん・子供たちのことを見守ってくれてるやろうと思いつつ、心の中で絶えず、ただただ感謝の思いを念じていくしかない。おかあちゃん…おかげさんで今、こうして幸せに過ごせとります。


































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