2019.12.9(月)
クリスマス飾りを出してみたら
休日、昼すぎに起きる。カミさんは体操教室かな。
キッチンにあったコーヒーを温め、ベランダへ。カミさんが出してくれたのか、黒松が日光浴中。キッチンの片手鍋に残っている「しっぽく」の具・汁を温めて、日本そばにかけて朝昼兼用。
午後、カミさんが帰宅。
残りのカレーを温めて食べていた。食後、久しぶりにクリスマスツリーの飾りを出してみようかな…と言って組み立てていたが、組み上がって2時間ほどしてから、予定変更。“なんかホコリっぽいというか、ムズムズする感じ…“と言うし、たしかにそんな匂いがする気もしたので、夫婦して分解作業。なんか変だな…と感じたら、すぐに対応するのが一番いい。
環境が原因だったのかも
徳島の自宅生活の再開で、再発見した。
松山時代ってもしかして、職場・借家それぞれの環境が良くなかったかも…という点。
まずは、職場の環境。
建物自体が古く、床にほこりが溜まりやすい箇所がいくつもあり、職場にいると珍しく鼻がムズムズしたり鼻水やくしゃみが出たりした。仮眠スペースは老朽化した二段木製ベッドで、毎日布団を取り替えてくれるものの、横になっていると身体がむず痒くなったものやった。たぶんハウスダストとかダニとか、そんなのが要因やったのやなかろうか…と、今にして思う。
環境が原因だったのかも/つづき
いっぽう、借りていた部屋はどうやったか。
日当りの良くない部屋で、1日の大半は日陰。陽光を浴びようとしたら外へ出るしかない。
メインの部屋の床は、一見すると木目のフローリングに見えるものの、たぶんコンクリート床に木目調プリントの薄いシートを貼ったもので、夏はひんやり過ごしやすかったけれど冬場は冷たかった。また構造上の要因なのか、床面あたりは湿っぽい感じもあった。
なるほど…と、振り返って思う。
こうした職場・住まいの環境で4年間も暮らしていれば、少しは免疫・抵抗力ができたとしても体調にいい環境ではなかったろう。徳島生活に戻ってからはそれらが逆転した環境なので、やはり“ムダではなかった、意味あることだった…“と痛切に感じる。毎日のベランダでの日光浴、このひとときがなにより嬉しい。
農協グリル
松山時代の思い出で懐かしいのは、農協グリルの昼食。
徳島生活が再開して以降、自分の好みもあるが昼食に中華そば・支那そば・らーめんが多いので、カミさんとの雑談の折りに“松山の農協グリルみたいなのがあればよかったね…“と言われたこともあったが、たしかにそうやなぁーと思もた。
農協グリルは、南堀端のJAえひめの地下にある。
メニューはそこそこ豊富で、むかしむかしデパート・百貨店の上階にあった“大食堂“の雰囲気に近いかな…と、自分は思う。カミさんが言うとおり、たしかに重宝した。ハーフサイズの焼きめし・親子丼・ラーメンがあったり、おにぎりも1個からある。農協グリルみたいな店が駅前あたりにあれば、重宝するのになぁ。
立ち飲み屋さん
チョートクさんのカメラノート。
9日付けの記事は、大阪天王寺の立ち飲み屋さんにまつわる思い出ばなし。
立ち飲み屋さんで言えば、松山時代の最後の頃の先輩方を思い出す。数年前に先の会社を定年退職して再スタートされてる先輩方で、自分より2〜3歳上。この歳になるとかつてと違い、街中の居酒屋でバカスカのみ食いすることもなく、先輩方にとってちょうど良いのが、ひなびた商店街の一角にある立ち飲み屋さんらしい。ごくわずかな人数で行き、それぞれに飲みたい物とちょっとしたつまみ・缶詰などを肴に、ほどよいところで切り上げる。安いし、愉しいよ…と雑談で語っていた先輩方の笑顔を、ふと思い出した。
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