ある日 ある時
しあわせのひととき
タイトル《しあわせのひととき》を書いた途端。
ポールマッカートニーとウイングスの《幸せのノック》か《しあわせの予感》を聴きたくなった。ひさしく出番のなかったiPod1号を立ち上げて《幸せのノック》をかけ、そのままポールの曲を流し続ける。ポールの歌声も懐かしいけれど、いまは亡きリンダのコーラス、ハーモニーがとても好きだった。
仕事日に中華そば…というわけ
しばしばカミさんに言われる…“きょうもお昼は、中華そば…?“。
中華そばが好きなのは確かやが、考えてみたらもうひとつあった。単身赴任が終わって自宅生活に戻り、当然ながら自宅の食事が多くなる。カミさんが作ってくれる食事は、フライ・揚げもの・炒め物・煮物・煮びたし・汁物・漬け物…などなど多種多様あるから、家で食べられる/食べた…という品目を仕事日の昼メシにも食べたい、とは全く思わない。これが単身赴任時代とは違う部分であり、家で食えないものを外で…となると、残りは中華そばしかない。ただ最近は、これがうどんに代わるケースも少なくないから、仕事日の昼食は麺類主体というのが正しいように思える。
歳をとるのは よいこと
悪いことばかりでなく、良いことも多い。
自宅で少し動くと、足先をソファなり柱に軽くぶつけたりして「ああ、歳をとったな」と自覚でき、自分で注意・用心するようになる。外に出れば、階段の手すりをありがたく感じたり、雨の日の散歩でつるっと滑らないような靴にしないといけないなぁーと考えたり、今後の買い物についても考えるようになる。そして食事に関していえば、本当に心底お腹がすいた時に食べたいものを適量だけ食するのがよいな、と思うようになった。惰性でなく、朝だから・昼だから…でもない。腹がへった時が、その時だ。
まともな国会を
首相主催の「桜をみる会」でもめているらしい。
やることはそれしかないんか…と、思わず嘆息。これからの日本に必要なのは、揚げ足とりや「一部切り取り」で責め立てる悪習ではなく、憲法改正や皇室関係(男系継承や宮家関係など)などをきちんと議論・報道する存在やろう。その役割の一部をネットが担っている部分もあるかもしれんが、新聞・テレビが情報収集の主体という人がまだまだ多い中、報道番組については地上波よりBSのほうが、まだしもマトモか。
これは やめませう
①歩きタバコ(電子タバコも同様)
②自転車・自動車運転中の片手スマホ
③通路をふさぐ立ち話
④2時間飲み放題の宴会コース
⑤卑怯なこと
このうち④は、食べ残し料理の削減の意味合いと、それぞれが食べたい物をその時点に応じて注文するのが良いという(いまの年齢における)自分の考え方によっている。また⑤は、日本人が本来忌み嫌ってきた事柄ではないか、と思っている。「卑怯なこと」に関して自分自身が認識を持ち、仕方ない…と受け止めたり我慢せず、子供にも卑怯になるなと教え伝えていくこと。それが日本人らしさだと、そう感じている。
女性の顔が凛々しい時代
女性のほうがパワーがあり、凛々しい時代だと感じる。
最近の一例では、天皇・皇后両陛下の即位関連のセレモニーでの若手女優さんの祝辞メッセージか。また昨日、高松での告別式参列を終えて徳島市内に戻ってきた際、愛車に乗って信号待ちをしていると、目の前の横断歩道を男女の学生が自転車で通り過ぎていったが、男子学生の二人がゆるい表情で会話をしながらのんびり自転車をこいで渡って行った直後に、自転車に乗って疾風のごとくまたたく間に駆け抜けた女子学生の表情はキリっとしていてとても精悍で、カミさんと二人で「うーむ、女子のほうが毅然としてるなぁ…」と思わず感嘆した。その上で、ふと思う。ドラマとかでは、男女を問わずそれぞれ同性間での「陰湿さ」が表現されることがあるけれど、そのほかの要素で「嫉妬」というのを考えてみると、男世界のほうが多いような気がする。また「卑怯を憎む」という観点では、男性より女性のほうが多いように感じるが、これは自分の見方であり感じ方だ。女性が凛々しい時代に、まだ制度と社会認識が追いついていない。それが問題か。
メディア淘汰の時代へ
日本は、少子高齢化の時代らしい。
不謹慎な書き方なのは承知しているが、少子高齢化の時代が続き、既存のテレビ・新聞を情報収集のメインとしていた方々がいずれ減少していく中で、それらメディアがどうなっていくのか、それは見届けたい気がする。少子高齢化の時代は、今よりさらにネット主体の時代だろう。いま、自由きままにやっているように見えるテレビにしても、現状は「免許制度」で成り立っている。この免許制度の動向にも注目したい。
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